台湾映画「賽德克、巴萊(セデックバレ)」ロケ地一般公開中!
普通、撮影用のオープンセットは建物の片側だけ作って本物らしく見せることがほとんどですが、魏徳聖(ウェイ・ダーシェン)監督のこだわりと、日本から参加した種田陽平さん率いる美術チームの力によって、全て“本物”の建築物となっています。
昨年の9月、クランクアップ記者会見がここで行われ、初めて実際に見た時は本当にビックリしました。
実は、この美術スタッフが知り合いなので、撮影中から色々話を聞いていました。せっかく作ったこの素晴らしいロケ地をテーマパークとして一般公開したいという計画は、一年前から立てられていたのです。
その後、いくつもの難問題をクリアし新北市政府と新北市文化局が主宰、ここを「林口霧社街」と名づけ、“体験活動”としてオープンするに到りました。
「林口霧社街」に入り、まず小高い丘に建てられた「武徳殿(武道場)」に上ると、そこから一望できる霧社街の全景に驚かされます。振り返るとそちらは海、台北港までが見渡せます。建物の中は、警察官達が日々武道の訓練をするための稽古場です。
美術スタッフの話によると、この小高い丘はもともとあったものではなく、コンクリートで基礎を固めて盛り土をして作ったものだそうです。
そしてそこから降りたところにあるのが警察の霧社分室、昨年のクランクアップ会見のイベントはこの広場で行われました。
そこから伸びる霧社街のメインストリートの両側に診療所、郵便局、旅館、いくつもの商店、その裏には民家があります。これもただ並んでいるだけではなく、家と家の間には物置や井戸、中庭があったり、もちろん家の中もしっかり作られていて、いつでもここで生活ができそうなくらい。
さらに、商店の看板や屋外に貼られているビラなどもきちんと考証されたもので、日本の美術スタッフの丁寧な仕事ぶりに感心させられます。
メインストリートの突き当たりは「桜台」と呼ばれる小高い丘で、この向こうに学校があります。メインストリートからはこの学校は見えず、「桜台」を越えるか、右側の道を上っていかないと姿を現しません。このロケーションも監督のこだわりで、学校の部分の土地を掘り、掘ったその土で手前に「桜台」という丘を作ったそうです。
この学校、霧社事件の重要な場所となる為、校庭もかなり広く作られていて、校舎に向かって右側には立派な「校長宿舎」もあります。校内にはいくつかの教室があり、漢字とカタカナによる注意書きや時間割、子供達が書いた習字や絵などが壁に貼られ、天井から旗や折り鶴が吊られています。
この「林口霧社街」の一般公開は、第一期が12月4日まで、毎日9時から21時まで開園。参観は全て申込み制となっており、一般が板橋駅からのシャトルバス料金込みで180元、林口駅からのシャトルバス料金込みが150元、この他団体や子供料金もあります。
詳しくは公式サイトをご覧下さい。但し、中国語のみです。
http://www.wushestreet2011.com/
映画「賽徳克、巴莱(セデックバレ)」は、1930年10月27日に台湾の「霧社」(現在の南投県仁愛郷)で起きた、日本統治時代後期最大の抗日蜂起事件を描いた作品です。魏徳聖(ウェイ・ダーシェン)監督は、数年前に私費約600万円を投じて5分間のデモ映像を制作し、低迷する台湾映画界の中で決意を表明。「海角七号〜君想う国境の南〜」の成功により、本格的に製作が決定しました。
実に構想から12年、紆余曲折の末2009年10月27日にクランクイン。製作に関わったスタッフは、台湾・韓国・日本からも含めて400人以上、俳優はエキストラも含めると15000人、13種類の動物たちが参加しました。
撮影は、台湾で28ヶ所、撮ったシーンは14180、2047巻723890フィートのフィルムを費やしたそうです。台風でセットを流されたり、それに伴う資金不足、スタッフの病気や怪我、交通事故など度重なる困難を乗り越えた、監督の執念とスタッフの努力、熱意は、想像を絶します。
出演は、徐若瑄(ビビアン・スー)、羅美玲(ルオ・メイリン)、鄭志偉(チェン・ジーウェイ)、馬志翔(マー・ジーシャン)は、溫嵐(ランディ)、安藤政信、河原さぶ、木村祐一、田中千繪ほか。
※写真は、すべてオープン前の取材時のものです。
★リンクは有り難いのですが、写真や記事の転載は固くお断りします。
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