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2016/08/15

台湾映画紀行〜雲林その2 虎尾『奇人密碼-古羅布之謎』

0815pili1高鐵(新幹線)雲林駅の改札を出ると、広々としたエントランスに布袋戯の人形がど〜んと飾られています。
なぜかと言うと、雲林は台湾の伝統的な人形劇「布袋戯」の故郷で、ドラマと映画を製作する世界最大の布袋戲撮影スタジオ「霹靂」がここ雲林の虎尾というところにあるからです。
布袋戯は、17世紀に中国福建省の泉州で親善儀式として始まった人形劇です。手足は木製、胴体は布製の衣裳で覆われていることが「布袋戯」の名前の由来と言われています。これが19世紀になって中国からの移民と共に台湾へ伝播し、伝統芸能として根付きました。

0815pili2台湾に伝わった布袋戯はいくつもの流派があり多くの劇団がそれぞれのスタイルで上演、台湾語を使って独自の発展を遂げていきました。その流派の中の園派を代表する雲林出身の黃海岱が「霹靂布袋劇」の創始者となり、息子の黄俊卿を中心に1960年代にテレビシリーズをスタート、1970年には「雲州大儒侠史艶文」が97%という視聴率を叩き出し大人気のエンターテインメントになりました。野外舞台から屋内へ、そして黃海岱が息子の黄俊雄に継承、さらに孫の黄強華と黄文澤へバトンが渡りテレビからレンタルビデオ市場へと広げていいきました。
1985年から今まで50本以上のテレビドラマシリーズを制作、伝統に則り口白師(語り部)の黃文擇が全てのキャラクターの声を一人であてているという驚きの霹靂、その「霹靂布袋戯」の全てが雲林の虎尾の広大な敷地の中のスタジオで製作されています。

0815qirenmima霹靂は布袋戯の映画も製作しており、2000年に武侠アクション『聖石伝説』が当時『タイタニック』を超える大ヒット。日本でも2002年に公開され、音楽を担当した伍佰(ウーバイ)がプロモーション来日しています。
そして去年は3D映画『奇人密碼-古羅布之謎』を製作して旧正月に公開しました。人形と木製ロボットが古代中国の長安から楼蘭を舞台に繰り広げるアクションファンタジーで、人形をコマ撮りするのではなく、ちゃんと人が動かしてそれを撮っているという手法に驚きました。
詳しくは以下の記事をご覧下さい。

2015/02/17
台湾の旧正月映画で注目の『奇人密碼-古羅布之謎』
http://asian.cocolog-nifty.com/paradise/2015/02/post-9592.html

0815thunderboltさらに、この霹靂は日本とコラボして武侠ファンタジー人形劇『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』を作り、いま日本と台湾で放送・配信中。日本でもアニメファンを中心にかなりの評判になっています。
詳しくは、以下をご覧下さい。

2016/02/06
台湾の布袋劇が日本とコラボ!武侠ファンタジー人形劇『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀』製作発表会見
http://asian.cocolog-nifty.com/paradise/2016/02/thunderbolt-fan.html

公式サイト http://www.thunderboltfantasy.com

0815fuwei1虎尾の霹靂ではファンクラブの会員向けのスタジオツアーがあり、製作現場を見学できるそうですが、一般の人でも自由に参観できるのが雲林布袋戯館。もともと警察署だった建物を博物館として開放しています。
この向かいにあった消防署は、リノベーションしてスターバックスと誠品書店に生まれ変わり、人気のスポットとなっています。スターバックスの中にはすべり棒も残っていました。

0815fuwei3ほかにも多くの日本建築物が残っていて、いまは観光案内所になっている木造の旧虎尾駅や、日本統治時代の一番美しいと言われる建築物は、ビュッフェスタイルのベジタリアンレストラン「虎尾生機廚房」になっています。
この建物は、もともと虎尾精糖工場の診療所で、オーナーは家族が大病を患ったのをきっかけにベジタリアン料理の店を開こうと決心したということです。

0815fuwei2「素食」=精進料理は、台湾でいま大人気で台北にも多くの店がありますが、レトロな日本建築の風情と工夫が凝らされた料理はここならでは、です。食生活を見直し健康的な食事をしてもらいたいという思いで出しているメニューは50種類を超え、鮮やかな色も着色料ではなく自然の野菜の色だそうです。

虎尾生機廚房
雲林縣虎尾鎮民主路1號
http://www.e-ok.com.tw(中国語)

0815fuwei4最後になりますが、もう少し虎尾についてご紹介します。
この虎尾はどの辺にあるのかというと、雲林縣のほぼ中央。雲林縣は台中から彰化縣を南下し嘉義市の手前ですから、台湾全土から見ると西側の中南部になります。なかなか観光でも立ち寄ることの少ないところでしょうが、日本統治時代に作られた台湾の三大精糖工場のひとつにして最大の虎尾精糖工場があります。高い煙突とサトウキビを運ぶ為の鉄道と貨車(これは現役)、今も残る木造の従業員宿舎が100年の歴史を物語っています。

0815fuwei51906年には工場のすぐそばの虎尾溪に鉄橋も架けられました。今は使われなくなったこの虎尾鉄橋、2012年の台風で大きな被害を受けましたが、いまは修復され遊歩道として徒歩で渡ることができます。時間の関係で途中まで歩いてみましたが、酷暑を一瞬忘れるワクワク感で楽しかったです。
布袋戲の「霹靂」で仕事をしている友達から「なんで虎尾に行ったの?」と聞かれるくらいなかなか訪れる機会のない虎尾、今回はとても貴重な体験でした。

※このシリーズの記事

2016/08/11
台湾映画紀行〜雲林その1『候鳥來的季節』
http://asian.cocolog-nifty.com/paradise/2016/08/1-65c4.html

★リンクは有り難いのですが、写真や記事の転載は固くお断りします。

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