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2019/06/23

台湾映画上映&トークイベント〜台湾映画の"いま"〜オリジナリティと未来へ向けて『セデック・バレ(原題:賽德克、巴萊)』魏徳聖(ウェイ・ダーシェン)監督の"映画魂"のムービーメッセージに熱い拍手!

0527sediq3 「台湾映画上映&トークイベント〜台湾映画の"いま"〜オリジナリティと未来へ向けて」第四回は、魏徳聖(ウェイ・ダーシェン)監督の歴史大作『セデック・バレ(原題:賽德克、巴萊』を2日にわたり前後編をご覧いただきました。
1930年に台湾の霧社で起きた日本統治時代後期最大の抗日蜂起事件を描いたこの映画は、台湾映画市場最高の7億元(約26億円)という製作費をかけた大プロジェクト。台湾の歴史を知ると共に、台湾映画界を牽引する魏徳聖監督の、いま進行中の新作へと繋がる映画魂をこの映画で感じていただけました。

0623event2_20190623225201 この作品は、魏徳聖監督が1997年から脚本を書きはじめ2007年に完成、2009年10月27日にクランクインしました。製作に関わったスタッフは、台湾・韓国・日本からも含めて400人以上、俳優はエキストラも含めると15,000人、13種類の動物たちが参加しました。
撮影は、台湾で28ヶ所、撮ったシーンは14,180にものぼります。
日本からのスタッフは、プロダクションデザインに種田陽平、美術プロデューサーは赤塚佳仁ほか、「ブラザーフッド」や「レッドクリフ」にも関わった韓国のアクションと特殊効果チームなどが参加しています。
そして、シンガポールの音楽プロデューサー何国杰(リッキー・ホー)が手がける曲も素晴らしいです。
エンドロールに「天使」というクレジットで蔡岳勳(ツァイ・ユエシェン)監督、徐若瑄(ビビアン・スー)、周杰倫(ジェイ・チョウ)、言承旭(ジェリー・イェン)ほか全員の名前が紹介されています。これは通常の「スペシャルサンクス」ではなく、資金援助を含め様々な形でこの映画の完成に協力してくれた方々への感謝をこめたものです。
プロデューサーに名前を連ねる呉宇森(ジョン・ウー)も、そのご高名が資金張達に大きな協力をもたらしてくれたひとりです。

0623event3 私が初めてこの映画の事を知ったのは、2003年に監督が私費約600万円を投じて霧社事件をテーマにした映画のデモ映像を制作したということを噂に聞いた時でした。
そして2008年の台北電影節で『海角七号』が初めて台湾で上映された翌日、魏徳聖監督にインタビューした時にその5分のプロモーション映像のDVDをいただきました。短い映像でしたが、その迫力、映像の素晴らしさ、そして何より監督の熱い魂に心を掴まれたことが忘れられません。
監督は、『セデック・バレ』を作る資金を集める為にまず『海角七号』を製作したので、取材の時にもしっかりと本作の制作の意志を語っていました。
台湾映画市場最高の興行成績記録を打ち立てた『海角七号』ですが、監督の映画人生にとっては助走に過ぎませんでした。
『海角七号』の成功でとりあえずの製作開始資金は確保でき、2009年、霧社事件の起きた10月27日にクランクインしました。

0623event4 本作の撮影は、主に山の中です。台湾中の山を歩いたのではないかというほどのロケハンでは、監督が一番元気があったそうです。
そして、この映画は大規模なセットを作る必要がありました。事件が起きた霧社の街を既存の村や町を使って再現するのは難しく、日本軍に焼かれてしまう莫那魯道(モナ・ルーダオ)が住むマヘボ社も作るしかないということになります。
マヘボ社は、当初高雄縣の桃源という所に作りましたが、2009年8月に台湾中南部を襲った台風により、「八八水害」と呼ばれる災害で全て流されてしまいました。
この時、ほとんどのスタッフが製作を諦めました。監督とずうっと二人三脚で作品を作り続けたプロデューサーの黄志明(ホアン・ジーミン)も中止を進言したそうですが、監督は聞き入れなかったそうです。
監督の執念に引っ張られたチームは、努力と熱意で製作を再開。近くに吊り橋があることが必須だったマヘボ社のセットを、桃園市復興区に作りました。

0623event5 一方花蓮の西寶に建設予定だった霧社街は、「八八水害」の影響で100人以上が動くチームの安全が確保できないと考え、別の候補地を探します。なかなか見つからずに焦りが募る美術チームは、ある日打ち合わせをしていた撮影スタジオの窓からとなりの空き地を見てここだ!とひらめいたそうです。
スタジオのある林口は平地ですが、海が近いため霧が出ます。交通の便は良く撮影には最適ということで、2009年9月に除草と整地からスタートし半年かけて霧社街を建設しました。
通常オープンセットはカメラが写す前面だけ作って内部はスタジオのセットで撮るのですが、この霧社街の建物は全て内部も裏も本物。つまり、本物の街ごと作ってしまったのです。この為製作費は8000万元(約3億円)!

0623event6 そうして異例の10ヶ月に及ぶ撮影が終わり、2010年9月5日、この霧社街オープンセットでクランクアップ会見が行われました。
ここは公共の交通手段がない為、映画会社はメディア用に台北駅から大型バスを用意し、私も取材に行って来ました。初めて披露された霧社街は、想像を絶するものでした。原住民俳優たちによる迫力の儀式の再現パフォーマンスやセレモニーのあと、感無量の面持ちで完成の喜びを語る監督の言葉が忘れられません。私もまさに歴史的瞬間に立ち会えたような感動を味わいました。
この霧社街セットは、公開後の2011年9月14日から12月4日まで期間限定の映画文化パークとして開放され、多くの映画ファンや観光客が訪れました。

0623event7 そうして2011年5月のカンヌ国際映画祭の国際マーケットに出品、公開前日には台湾映画史上初の総統府の広場でプレミアが行われました。
日本で言うと国会議事堂の敷地内にプレミア会場とステージが作られたというあり得ない状況です。受付でプレスパスを渡されるだけでなく、機材に着けるタグももらいます。そして取材エリアへの入り口は、空港の保安検査場より厳しく、荷物を全部開けて係員が確認、人は何も持たずに金属探知機ゲートをくぐるという徹底したセキュリティでした。
舞台下のゲスト席の最前列には当時の馬英九(マー・インジョウ)總統と民進党の蔡英文(ツァイ・インウェン)主席、郝龍斌(ハオ・ロンピン)台北市長が並ぶというこれまた歴史的な構図でした。

0623event8 クランクアップから一年後の9月9日から前編、9月30日から後編が史上初となる全台湾の映画館99%で同時公開され、大ヒット。サントラCDも発売と同時にチャートの1位となり、10週すぎてもなおトップ10内にいるという人気でした。
この年の金馬獎では作品賞ほか5部門という最多受賞を果たしました。
レッドカーペットは総勢40数名の大軍団、メインの男優陣を先頭に、途中から全員で原住民の勇壮な踊りで進んできたのです。監督や徐若瑄(ビビアン・スー)、羅美玲(ルォ・メイリン)、田中千絵もドレスのすそを翻しながら踊るというパフォーマンスが圧巻でした。

企画当初から誰もが実現不可能だと言ったこの歴史大作を、不屈の精神で完成させた監督。
この映画魂のムービーメッセージが届きました。

0623event9 キャストの多くは、素人俳優です。
主役の莫那魯道の壮年時代と青年時代を演じた林慶台(リン・チンタイ)と大慶(ダーチン)も例外ではありません。二人ともタイヤル族で、林慶台は牧師さん、大慶はトラックドライバーでした。
プロの俳優ではセデック族の馬志翔(マー・ジーシアン)はじめ、徐若瑄(ビビアン・スー)、羅美玲(ルオ・メイリン)、溫嵐(ランディ)、徐詣帆(シュー・イーファン)、蘇達(スー・ダー)ほか全て原住民出身者がキャスティングされました。
日本からは安藤政信、河原さぶ、木村祐一ほか多数出演していますが、台湾在住の田中千繪、蔭山征彦、ディーン・フジオカも参加。とにかく台詞のある日本人役は、集められるだけ集めたそうです。
林慶台はその後も乞われるままに俳優をしていましたが、廃業宣言をして本来の牧師に専念。『52Hzのラヴソング』は、監督からの強い要請で仕方なく出演しました。
大慶はそのまま俳優に転身して活動中、今年大阪アジアン映画祭で上映された『悲しみよりもっと悲しい物語』ではアイドルのマネージャー役で弾けています。

0623event27 そして、今日特にご紹介したいのが、莫那魯道の父親役の曾秋勝/巴萬那威(バワン・ナウェイ)です。この方は、セデック族の建築家で芸術家なのですが、2003年に監督が作った5分のデモ映像でも同じ役を演じています。
彼は、この後本格的な撮影に入るまでずうっと監督を信じて製作開始を待っていました。出番は少ないものの、監督が本作の根幹とした"信仰と文化"の象徴とも言うべき重要な役柄です。
本作がクランクアップした時に、録音師として製作を支えた湯湘竹(タン・シアンジュー)が作ったドキュメンタリー『セデック・バレの真実』の中で、父子3人でセデック族発祥の地Pusu Qhuni(プスクフニ)という神石を訪ねるという縦軸を担っています。
このドキュメンタリーは2016年の10月に、このイベントで上映しましたので、覚えていらっしゃる方もいるかも知れませんね。

0623event10 ご紹介したメインキャストはじめ15,000人もの出演者は、さきほどお話しした霧社街とマヘボ社のオープンセット以外に本物の山の中でのロケでたいへんな撮影を行ってきました。
特に日本軍とセデック族たちが戦う人止関のシーンは台中の合歓渓歩道で撮影されたのですが、車が入れず交通の便は最悪。海抜2000メートルの所でメインキャストをはじめ出演者とスタッフあわせて300人くらいがここで頑張りました。
実際の人止関は南投県 仁愛郷ですから、ロケで使った合歓渓歩道は少し北になります。

0623event11 最初に撮影したのは莫那魯道初の出草シーンで、場所は桃園縣小烏來です。
このほか戦闘シーンは烏來の川、苗栗縣南庄鄉の神仙谷、新竹縣尖石鄉の天然谷、台中の秘境雪山坑などで撮影しました。
また、花岡一郎・二郎自決のシーンなどは、宜蘭県大同郷英士村にある明池、棲蘭神木園が使われました。
どこも山の中の森と水に恵まれた素敵な所で、公開直後は多くの人が観光がてらロケ地を見に行ったそうです。

0623event12 莫那魯道の住むマヘボ社は先述のように桃園にオープンセットを作り、事件の発端となる警官と衝突するマヘボ製材所は新竹縣關西鎮錦山里にある馬武督探索森林というところに建てて撮影しました。
また、莫那魯道と父の霊が会話をするシーンは花蓮縣壽豐鄉の時雨瀑布がロケ地です。この時雨瀑布は、またの名を彩虹瀑布と言われているので、この映画に最適な場所として選ばれたのかも知れません。
ちなみに、駐車場から徒歩で30分くらいだそうです。

0623event13 そして、ひとりになった莫那魯道が高い山の上で銃を肩にかつぎたたずむシーンは、標高3237メートルの石門山です。ここは花蓮縣秀林郷富世村の合歓山国家森林遊楽区にあり、合歓山連峰の中でも一番のぼりやすい山ということで、20分ほどで頂上へのぼれるそうです。
ほかにも、宜蘭の新寮瀑布、新竹縣の關西高原もロケ地になっています。

0623event14 山の中だけてなく、台北で撮影されたシーンがひとつだけあります。
故宮博物院の近くにある中影文化城という撮影所で、林口に作られた霧社街のごくごく一部が建てられていて、日本軍の雨の行進のシーンを撮りました。
実は、ここにはプライベートで監督の陣中見舞いに行きました。山から下りてきた撮影隊を黒いゴム長を履いて真っ黒に日焼けした監督が引き連れてきました。ご挨拶して少しお話しした時はにこやかでしたが、撮影が始まると厳しいクリエイターの表情に一転、一帯に緊張感が走りました。
ご紹介したロケ地は観光でも行かれるところですが、どこも時間がかかるので近くに行くことがあったらプランに追加するという感じであまりロケ地巡りには向いていません。
そして、本作は史実を描いた映画ですから、むしろ歴史ゆかりの地を巡る方をお薦めします。

0623event15 さて、ロケ地ではなく、私が2014年に台中から日帰りで訪れた霧社と川中島など霧社事件ゆかりの地をご紹介しましょう。
嘉義で行われた『KANO』のプレミアの翌日、6人で車をチャーターし、まず霧社事件の後、生き残ったセデック族の人々が強制移動させられた川中島清流部落へ向かいました。幹線道路からの入り口には目印の北港渓にかかる清流橋の大きな門があります。
「川中島」というのは日本統治時代の地名で、現在の名称は仁愛鄉互助村。第二霧社事件の後、生き残ったセデック族の黄瑞香さんが、手作りのセデックの民族衣装や民芸品を売る「川中島農工藝坊」を営んでいます。黄瑞香さんは商品を作って売るだけではなく、訪れる観光客に聞かれれば事件やセデック族のことをじっくりし話してくれる貴重な語り部でもあります。
実は、この旅は私がかつて番組を作っていたラジオ局の後輩の取材コーディネートも兼ねていたので、黄瑞香さんに当時のことを色々伺いました。
1945年日本の敗戦により当時台湾にいた日本人は強制帰国させられるのですが、霧社街にいた日本人は当然ながらたいへん危険だったといいます。黄瑞香さんのお母さんは親しい日本人にセデック族の民族衣装を着せて日本人とわからないようにして港まで送り、船に乗せたそうです。

0623event16 そしてこの清流部落にはセデック族の末裔が先人達の英勇を伝えようと建てられた「霧社事件餘生記念館」があります。記念館の外壁はセデック族のレリーフで彩られ、中には事件の中心人物莫那魯道と霧社事件に関する歴史資料などが展示され、日本語で解説してくれる係の方もいました。写真のように建物の外には「餘生記念碑」が祀られています。

0623event17 それから霧社街に向けて車を走らせると、両側が険しく高い奇岩に挟まれた道路上に黄色い看板が見えてきます。これが「人止関」。清朝時代に作られた平地民と原住民の境界線で、開墾の為平地人が原住民の居住狩獵地域に侵入して争いが耐えなかったため、当時の統治者が作ったもものだそうです。
セデック族は首刈りの習慣もあったため、被害に遭う漢民族も少なくなかったとか。いまは道路の急カーブのところにひっそりと残されているだけですが、そこに展示されている昔の写真を見ると、ここから先に踏み入ると命がない…という恐ろしさは十分にうかがえました。

0623event18 莫那魯道のお墓がある霧社街へ入る前に昼食時間となったので、原住民料理が食べられる「塔洛灣景觀餐廳」へ入りました。ここは碧湖が見下ろせる絶景のレストランで、鱒や豚肉、野菜を使った料理はどれも美味しく、シリアスなテーマの旅のリラックスタイムとなりました。

0623event19 原住民料理を満喫した私たち一行は、霧社街の前に廬山温泉へ向かいました。というのも、チャーター車のドライバーさんが私たちの行動や興味の方向性からただの観光客ではないことを察知し、霧社街の前に廬山温泉へ行くことを薦めてくれました。なぜならここは、かつて莫那魯道が頭目を務めたマヘボ社だったからです。
廬山温泉は台湾中部の有名な温泉地でしたが、2009年の集中豪雨により大きな被害を受け、その後の調査の結果政府により全住民の移転が決定していました。でも私たちが訪れた時はまだ数件の店や旅館が営業しており、ドライバーさんはなんとこの中の一軒の旅館のオーナーだったのです。
廃村が決まった温泉町はひっそりしていて、ここからさらに上がったところに莫那魯道記念碑やマヘボ古戦場があるのですが、今は車が入れなくなっており、徒歩では時間がかかるので行くのは断念せざるを得ませんでした。

0623event20 そして、いよいよ霧社町です。莫那魯道記念碑は霧社事件紀念公園の真っ白な鳥居の奥、階段を上がったところに建っていました。
莫那魯道は日本軍の必死の捜索にもかかわらず消息不明でしたが、1933年にマヘボ社の洞窟で白骨が見つかり、衣服の残骸や身につけていた武器などから本人と判定したそうです。この遺骨は標本として国立台湾大学の前身である台北帝國大學土俗人種學研究室に保存されました。それから数十年経った1970年に遺族の願いにより霧社町に戻され、この地に埋葬されたということです。
記念碑のさらにその奥に石のレリーフの壁に守られ「莫那魯道烈士之墓」と刻まれた大きな墓石があります。

0623event21 ここからほど近いところに、映画のクライマックスシーンにもなった霧社事件の現場、霧社公學校があります。現在は台湾電力萬大発電所の事務所となっており中には入れませんが、鉄柵越しにあの校庭だった場所が見えました。意外に小さかったです。でも、ここであの壮絶な殺戮が展開されたのかと思うと、映画のシーンと重ね合わせなんとも言いがたい複雑な気持ちになりました。

0623event22 さらにこの後、私たちは一人の老婦人と会うことになりました。この方は映画でビビアン・スーが演じた高山初子(オビン・タダオ)と花岡二郎の息子夫人です。
何と、これも旅館のオーナーでドライバーをつとめてくれた方が、私たちの目的を知ってアレンジしてくれたのです。
老婦人から聞くオビンさんの話は胸が詰まる思いでしたが、この貴重な体験は何物にも代えがたいものとなりました。
このオビン・タダオの息子夫人の話は、同行した後輩が作った『あの日の台湾~勇士と感謝、霧社と嘉義』という文化放送のドキュメンタリー番組の中で紹介されました。

0623event23 ご紹介した『セデック・バレ』歴史ゆかりの地、興味を持たれた方は、台中、日月潭観光に一日加えて訪ねてみていただきたいと思います。
タクシーをチャーターするのが効率よく回れますが、少人数であればバスなどの公共交通期間は本数も少ないので、事前にじっくりと時間を調べて下さい。
今回は映画『セデック・バレ』をもっと知っていただくために参考になればと思い、パンフレットなどには書かれていないロケ地と歴史ゆかりの地をご紹介しました。
映画のもっと詳しい事が知りたいという方には、ぜひ発売されているDVDとBlu-rayの豪華3枚組にセットされている特典映像をご覧になって下さい。メイキングやインタビューなど4時間近い中身で、特にメイキングは完成された一本のドキュメンタリーとも言える力作です。

0623event24

今回の最新情報は、まず台湾から。
邱澤(ロイ・チウ)の新作映画『第九分局』が、8月29日に台湾で公開されます。
大阪アジアン映画祭で邱澤が少しだけ話してくれた新作の1本『第九分局』では新米刑事を演じます。そしてこの刑事が相手にするのは普通の犯罪者ではありません。幽霊です。
どんな風に幽霊と対峙するのか、楽しみです。
『第九分局』
監督:王鼎霖(ワン・ディンリン)
出演:邱澤(ロイ・チウ)、温貞菱(ウェン・チェンリン)、澎恰恰(ポン・チャアチャア)

0623event25 そして、霹靂布袋戲の雲林日帰りスタジオ見学ツアー追加決定のお知らせ。
このイベントから生まれた霹靂布袋戲の雲林日帰りスタジオ見学ツアーは、発表してすぐに全4回のツアーが満員となり、大好評をいただきました。
参加できなかった多くの方からのご要望が絶えず、この度9月30日(月)に追加実施が決まりました。
霹靂布袋戲のスタジオは一般開放していませんので、制作舞台裏を見ることのできる貴重なツアーであり、このツアーの為だけのパフォーマンスや、『Thunderbolt Fantasy 東離劍遊紀(サンダーボルトファンタジー トウリケンユウキ)』の寸劇パフォーマンス、人形の操演体験、台湾語レッスンほか盛り沢山の内容で、雲林の美食&ショッピングも盛り込まれています。

http://asian.cocolog-nifty.com/paradise/2019/05/post-f1ef20.html

4月30日に行われたツアーレポートが台北ナビのサイトに掲載されましたので、ぜひご覧いただき、最後のチャンスにトライして下さい。
追加ツアーの申し込み開始は6月25日(火)12時30分から、台北ナビのサイトにアクセスして下さい。

0623event26 最後は、恒例の抽選会です。
配給会社マクザムよりご提供いただいた、『セデック・バレ』の台湾オリジナルグッズのシールと缶バッジセットとキャストのポストカードセットを計10名様にプレゼントしました。

★リンクは有り難いのですが、写真や記事の転載は固くお断りします。

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