2022大阪アジアン映画祭 台湾映画『女子学校(原題:女子學校)』李美彌(ミミ・リー)監督インタビュー
2022大阪アジアン映画祭で上映された台湾映画『女子学校(原題:女子學校)』の李美彌(ミミ・リー)監督に、メールインタビューしました。
本作は1982年の作品で、台湾のフィルムアーカイヴ=国家電影中心の、修復計画の一環として2020年にデジタル・リマスターされたものです。
侯孝賢(ホウ・シャオシェン)や楊德昌(エドワード・ヤン)らの台湾ニューウェーブと時代を同じくして活躍されていた李美彌監督の作品が、初めて日本で上映されました。
監督の故郷でもある台湾最南端の屏東の女学校を舞台に、女子生徒たちの生活や思春期の揺れ動く心情を描いた作品ですが、直接的な表現はないものの、1980年代に同性愛を扱ったこと自体が珍しい作品だと思います。
今回は、メールインタビューで監督に色々お聞きしました。
●今回の大阪アジアン映画祭で、初めて日本で監督の作品『女子学校』が上映されました。
このテーマで撮ろうと思ったきっかけから教えて下さい。
「創作のヒントは、主に自分の生活や経験、周りの人たちの感情などから浮かびます。
但し、私の作品はインディペンデントですから、資金は自分で出し、題材を選ぶときは興行成績や観客が見たいものを考慮します。
私は6年間女子校で学び、そばにいる友人達の喜怒哀楽を見て来ましたから、この『女子学校』はこの頃の女の子の感情や社会との関わりをどう見ているのかを描きたいと思いました」
●この映画は監督の出身地でもある屏東で撮られたそうですが、屏東をロケ地にした理由を教えて下さい。
「最初は屏東で撮ろうと思ったわけではなく、台北で撮りたいと思っていました。
でもある時脚本家が私の母校である屏東の学校に行き、当時の先生からぜひここで撮って欲しいと言われ、変更しました。皆さんとても協力的で、生徒も先生方も出演してくれたため製作費の削減に大いに役立ちました」
●撮影する上で、困難はありませんでしたか?
「とても順調でした。監督である私自身が最高責任者ですから、すべて自分のペースで采配を振るい、スケジュールや脚本、撮影などを把握していますので、とてもスムーズに撮影できました。俳優も自分で選び、承諾してもらえればその後は全く問題ありません。学校の先生も生徒も皆さん喜んで協力してくれましたから、全て順調でした」
●キャスティングで、思い出深いことがあれば教えて下さい。
「キャスティングは興行成績においてとても重要な要素ですから、まず秦漢(チン・ハン)にオファーしました。ただ、最初は主役ではないということで断られました。それから説得をはじめ、友人もこの説得に協力してくれ、ようやく承諾してもらいました。
でも、上映後に彼の長髪には多くの批評がありました。説得に多くの労力を使ったので、私は彼がこだわる長髪で撮影しました。
もともと主役は林鳳嬌(ジョアン・リン)にオファーしたのですが、彼女は理由も言わずただ謝り続け出演はできないと言いました。あとで知ったのですが、彼女は妊娠していたのです」
●当時の観客やメディアの反応はいかがでしたか?
「さんざんでした。多くの観客は恬妞(ティエン・ニウ)の足の負傷が不満でした。しかしこの役は父親に見捨てられ、他のクラスメートともうまくやっていけなかったため、どんどん落ち込み、自傷行為にまで及ぶというキャラクターです。自分の不注意で事故を起こし、それにより猛反省し同級生たちとの関係も改善する…要するに、彼女の気持ちを変えるためには、極端な出来事が必要なのです」
●本作と『未婚媽媽』『晚間新聞』は「台灣都市女性三部曲」と呼ばれていたそうですね。女性達を描く、監督の思いを教えて下さい。
「インディペンデントは自分で資金を捻出するので、自由な発想で自分の思いを表現できます。
『未婚媽媽』のために、このテーマをリサーチしに東南アジアや香港へ行きました。
私は映画の中で、このテーマをネガティブにとらえたくありませんでした。だから、自殺のような極端な表現ではなく、主人公たちが支え合い、同じように未婚でありながら、それぞれの選択によって異なる希望を持ち、それでも人間は生きていけるということを示しているのです。
私はテレビドラマの監督でもありましたから、『晚間新聞』のような描き方で社会の中の少年少女のピュアな感情を表現したかったのです。思春期の少年少女は初恋への憧れが強く、成熟したおとなを好きになる傾向もあります。初めて好きになった人だから、全力で相手の気を引こうと必死になります。
そして最後に、愛人は決して幸せにはなれないということを申し上げたい」
●侯孝賢(ホウ・シャオシェン)や楊德昌(エドワード・ヤン)らの台湾ニューウェーブの時代に、監督の創作環境は良かったのでしょうか?
「当時の男性監督達は後ろ盾がありましたが、女性監督にとっては良い環境ではありませんでした。
資金がないため家族に出資してもらうしかなかったのですが、資金を回収する=興行成績を上げるためには人気スターが必要です。
当時の映画館はほとんどが映画会社の傘下であり、それに反発したことが原因で出入り禁止になったことがあります。
その後『女子学校』を完成させましたが、撮影前に国内外の権利を売却して懲りました。
第四作『吾妻正點』を準備し、若い世代をターゲットにしたのですが、当時の投資会社の社長がタイトルを変え、ストーリーもキャストも大幅に変更しました。これで私は大きな挫折感を味わい、撮り終えてからテレビの世界へ移りました」
●歴史の流れと共に、女性の立ち位置や女性に対する考え方も変ってきて、現在は総統が女性です。
この変遷を、どのようにご覧になっていますか?
「台湾の女性の地位は、自分たちが獲得してきたものです。
女性はとても真面目で自立心が強い。もちろん仕事も家庭もバランスを取りながら、真摯に向き合います。
昔は女性が重要視されず、結婚して子供を産み働くことができませんでした。でも今は妻中心の家庭が多くなっています」
●日本では、1980年代の作品はニューウェーブの作品しか紹介されてきませんでした。
2021女性影展で、監督の三部作がデジタルリマスターされたことについての思いを教えて下さい。
「とても感動しました。
まさか作品が修復され、再公開されるとは思ってもいなかったので、今後もこのシステムが続き、歴史に埋もれた作品がもっとたくさん見られるようになることを願っています。
私は日本と縁があり、第一作は東映の監督から手法とテーマを学び、撮影スタイルは日本映画と良く似ています。
私は小さい頃から日本映画を見て育ち、映画は感情を表現するものであり、感情を表現してこそ良い映画になると考えています」
●今は、女性の優秀なプロデューサーや監督がたくさん活躍しています。私も何人かにお話しを伺ったことがありますが、この女性達の活躍をどのように感じていらっしゃいますか?
「本当によかったと思います。 女性が活躍すると疎まれた時代ではなく、この時代に育っているのですから。当時の監督はとても厳しかったですが、今この時代の彼女達の活躍が見られるのはとてもうれしく思います」
●監督からご覧になって、今の台湾映画界の問題点はどんなことですか?
「映画界の問題は山積しています。実は撮れる題材はたくさんあって、海外も興味を持っているのですが、私利私欲や偏向がないリーダーが足りません。
当時<中影>は比較的良かったのですが、国民党の会社なので、取り上げる題材に制限が少なくありません。
かつて、香港の映画会社が台湾の監督で撮り、香港が版権を取得し、タイでの権利も獲得しました。しかし当時の香港と台湾の与党が対立していたため、残念ながら白紙撤回になってしまいました」
『女子学校(原題:女子學校)』
監督:李美彌(ミミ・リー)
出演:秦漢(チン・ハン)、恬妞(ティエン・ニウ)、周丹薇(チョウ・ダンウェイ)、沈雁(シェン・イェン)、林南施(リン・ナンシー)
大阪アジアン映画祭の紹介ページ
https://www.oaff.jp/2022/ja/program/t08.html
★リンクは有り難いのですが、写真や記事の転載は固くお断りします。
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