『キン・フー 武俠映画の王(原題:大俠胡金銓)前編』 早く後編が見たい!との声が続々!
2016年から始まりました台湾文化センターとアジアンパラダイス共催の台湾映画上映イベント「台湾映画のいま」、今年は会場+オンラインのハイブリッド形式で開催しており、第3回は武侠映画の王キン・フー監督の作品と映画人生を記録したドキュメンタリー『キン・フー 武俠映画の王(原題:大俠胡金銓)前編』を上映しました。
この映画は、キン・フー作品で多くの主演をつとめた石雋(シー・チュン)を記録の旅の案内人とし、キン・フーから影響を受けたクリエイターたちの証言で構成、二部作として制作された前編です。
今回の上映では、武侠映画の根強いコアなファンだけでなく、キン・フー監督や武侠映画にあまり親しみのない方もかなりご覧いただいたようですが、皆さん本作を見て興味を持たれ、早く後編が見たいという声が圧倒的でした。(以下、アンケート回答からの抜粋)
「あまり詳しくなかったが、いかに偉大な監督かというのが分かった。キン・フー映画が見たくなった!」「非常に興味深く拝見しました。長めのドキュメンタリー作品ですが日本語字幕が分かりやすくて没入して観ることができました。京劇のデモンストレーションのシーンが入るのが独創的で面白いですね。音楽にも聴き入りました。来月の後編が待ち遠しいです」「大変面白かった。トランポリンの話や京劇の音楽の使い方など、実際の画像と一緒に体験することで理解が深まったと思う」「期待以上に素晴らしい内容」「俳優が台湾のアーカイブスを訪れるシーンが特に良かった」「有名な監督が沢山出ていて貴重だ」「ロケ地やどうやって撮影しているかや監督のこだわりが伝わり、作品のシーンも観ることができてよかった」「前編だけでもスゴイので後編はいったいどうなってしまうのか今から楽しみ」
また、アフタートークでは本編のドキュメンタリーで語られるキン・フー作品を時系列で補完解説したことが、皆さんのお役に立てたようでした。
(以下、アンケート回答からの抜粋)
「監督のことを知らなかったので、解説がわかりやすくありがたかった」「キン・フー監督の作品や軌跡、台湾巨匠傑作選の作品の紹介など簡潔明瞭で参考になった」「良くまとまっていて、わかりやすく楽しいトーク」「インタビューを受けてもらうまでの大変さ、ジョン・ウーやアン・リー監督作品を劇中に使う際の権利関係など、苦労した裏話が聞けて良かった」「とくに監督のことを知らない私にとってもとてもわかりやすい内容」「キン・フー作品の時系列紹介、ドキュメンタリー映画の補足事項、ドキュメンタリーの監督リン・ジンジェの制作時に留意や苦労したことなど、30分という短い時間の中に丁寧にまとめられていて、とても楽しかった。ナレーターの語り口も聴きやすくて、とても良かった」
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武侠映画は1920年代に中国で初めて製作され、香港や台湾など中華圏に広まった伝統あるアクション映画のひとつです。
日本の時代劇やアメリカの西部劇のように、ヒーローが卓越した技と武器を使って悪と戦う活劇。
キン・フー監督は、この武侠映画の監督として一世を風靡し、それに続く多くの監督達に大きな影響を与えました。
ご覧いただいた『キン・フー 武俠映画の王 前編』で、キン・フー監督の映画手法やスタイル、狂気をも含む芸術への追究を知っていただけたのではないでしょうか。
今日ご覧いただいた皆さまの中には、キン・フー監督についてあまりご存じない方もいらっしゃるかもしれませんので、プロフィルと、映画の中で紹介されていた作品を時系列で整理しててお伝えします。
キン・フー監督は1932年、中国の北京生まれ。19才のときに香港へ行き映画美術の仕事をするつもりが、ひょんなことから俳優になり、縁あってショウ・ブラザーズで俳優、脚本家、美術の仕事をすることになります。
1965年の『大地児女』で監督デビュー、1966年の第二作『大酔侠』が大成功を収めました。
『大酔侠』は女性アクションの元祖というべき香港映画で、兄を人質にした盗賊団を追う凄腕の女剣士が謎の酔っ払いの協力で盗賊団との戦いに臨む、というストーリー。
美しくも凛々しい女剣士を演じた主演の鄭佩佩(チェン・ペイペイ)は、本作から数々の武侠映画で活躍し、“武侠クイーン”として名を馳せました。
京劇の要素を巧みに取り入れながら独自の活劇世界を切り開いた、キン・フー監督最初の傑作です。
日本では未公開で、ソフトのみのリリース。配信では見られるようです。
1967年にキン・フー監督は台湾に行き映画会社を創設、『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿(原題:龍門客棧)』を撮りました。この映画は、中国・明の時代に暴虐な政治を繰り返す宦官に父を殺された3人の子供が、凄腕の剣客を助っ人に復讐を果たす物語。
アジア各地で大ヒットを記録し、武侠アクション映画ブームを巻き起こした記念碑的作品です。
日本でも1968年に年に公開された時の邦題は『血斗竜門の宿』、1974年に再公開された時に現在の『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿”という邦題になりました。4Kデジタル修復版が2016年の東京フィルメックスで上映された後、2017年に劇場公開となりました。
続いて1970年に台湾で『侠女』を撮影。明時代末期、いわれなき罪で殺された父の復讐のために立ち上がるヒロインの決死の戦いを、血湧き肉躍るアクションと幽玄な映像美で見せた武侠映画の金字塔的傑作です。
特に竹林の中での激闘は古今東西の映画史上屈指の名場面で、世界中の映画ファンの永遠の語り草となりました。
ご覧いただいたドキュメンタリーの中で、光の使い方やトランポリンの活用など、様々な技術を駆使した撮影の裏側が語られていました。
この撮影技術が、第28回カンヌ国際映画祭の高等技術委員会賞を受賞。
日本では1989年に「胡金銓電影祭」で上映された後、第二部と合わせたデジタル修復版が2016年の東京フィルメックスで上映され、2017年に劇場公開されました。
同じく1970年に作られたオムニバス映画『喜怒哀楽』の第二話『怒』を、キン・フー監督が担当しました。
京劇の「三岔口」をベースにして、罪人を流刑の地へ護送する役人達がこの罪人の暗殺を企て、泊まった宿の主人は彼らの持ち物を狙い、暗闇の宿の中での乱闘が始まるという物語。
他の3編は怪奇ファンタジーで、『怒』だけが活劇です。
縁の深いプロデューサーの李翰祥(リー・ハンシャン)の借金返済のために作られたと、『キン・フー武俠電影作法』のインタビューでキン・フー監督が語っています。
1973年の『迎春閣之風波』は、キン・フー監督が香港に帰って作った会社キン・フープロダクションの作品で、監督独特の宿屋の中で様々な人物達が交錯しアクションが展開する映画です。
この作品の構成も京劇から来ていると、『キン・フー武俠電影作法』のインタビューで語っています。
宿の女主人を演じた李麗華(リー・リーホア)は、1940年代から活躍していた女優で、この映画に出た頃は50才近かったのですが、見事なアクションを見せています。キン・フー監督もお気に入りの女優だったそうです。
日本では未公開です。
1975年の『忠烈図』も香港のキン・フープロダクションの作品で、日本の海賊 倭寇を退治する物語。
ラストの海辺での長い激闘シーンは、『侠女』の竹林の激闘シーンと並ぶ素晴らしさだと、『キン・フー武俠電影作法』に書かれています。
若き日の洪金寶(サモ・ハン)が、倭寇の首領役で不思議な衣裳とメイクで出演しています。
日本では未公開でVHSやLDが発売されていた時がありましたが、1989年に池袋サンシャイン劇場で開催された「胡金銓電影祭」で上映、2022年1月に国立映画アーカイブの企画上映「香港映画発展史探究」で4K修復版が上映されました。
1979年の『空山霊雨』と『山中傳奇』は、同時進行で撮影された台湾・香港合作作品です。
どちらも韓国で撮影され、1年以上かけて北は38度線近くの山中から南は済州島まで、文字通り国を縦断しながら撮影されました。
『空山霊雨』は三蔵法師直筆の経典ををめぐり、仏教寺院の跡継ぎをめぐる権力闘争を描いたアクション。
ご覧いただいたドキュメンタリーの中で、撮影のヘンリー・チェンがこの2作の差を走る方向や衣裳で変えるように提言したと語っていましたね。
7月22日から開催される「台湾巨匠傑作選」で、デジタル修復版が日本初の劇場公開となります。
一方の『山中傳奇』も台湾・香港合作作品で、もと夫人で作家の鍾玲(チョン・リン)が語っているように、珍しいラブロマンスを盛り込んだファンタジーです。
宋の時代の中国を舞台に、霊界の支配権を持つ経典をめぐって人間と妖怪たちが激しいバトルを展開。
ご覧いただいたドキュメンタリーの中では、キン・フー監督が好んで使ったスモークの炊き方や効果について色々な方が語っていました。
2018年に公開されて、こちらも7月22日から開催される「台湾巨匠傑作選」で4Kデジタル修復・完全全長版が上映されます。
1983年の『天下第一』は、後周の時代を舞台に権力をコミカルに風刺した陰謀劇。
この映画についてはご覧いただいたドキュメンタリーでは取り上げられていないので、おそらく何か事情があったのでしょう。
台湾の中央電影公司で企画され、小野(シャオイエ)と呉念真(ウー・ニエンチェン)という台湾ニューウェイブの脚本家が初校を書いたのですが、キン・フー監督が史実に基づいて書き直したと、『キン・フー武俠電影作法』のインタビューで語っています。
日本では1989年に東京・池袋サンシャイン劇場にて開催された「胡金銓電影祭」で上映されました。
同じく1983年に作られた『大輪廻』は、明朝、中華民国初期、現代(1980年代)を舞台に、魚腸刀という古い名刀に運命を翻弄されながら輪廻転生を繰り返す3人の男女を描いたオムニバス映画。
キン・フー監督はその明朝時代のパートを担当しています。
1985年に「中華民国・台湾映画祭」と「胡金銓電影祭」で上映され、デジタル修復版が7月から開催される「台湾巨匠傑作選」で、日本初の劇場公開となります。
香港に戻ったキン・フー監督は1980年代後半になると沈黙の時期となり、1992年に香港映画『ジョイ・ウォンの魔界伝説(原題:画皮之陰陽法王)』で復活しましたが、次回作の企画に向けて準備中の1997年1月14日に、台北にて死去。享年65歳でした。
実は、『華工血淚史』という作品を撮る準備の為にアメリカ・ロスアンゼルスにいた時期があり、そこでの知られざる事実が、このドキュメンタリーの後編で描かれています。
ぜひ7月29日に上映する後編をご覧下さい。
続いて、このドキュメンタリーを撮った林靖傑(リン・チンジエ)監督について、ご紹介します。
1967年生まれで、雑誌編集、記者を経て小説やエッセイを執筆し、1988年に短編映画で監督としてのキャリアをスタート。
2003年にテレビ映画『我倆沒有明天(俺たちに明日はない)』で金鐘賞の編集賞を受賞。
2007年に長編劇映画『遠い道のり(原題:最遙遠的距離)』でベネチア国際映画祭の批評家週間 最優秀作品賞を受賞しました。
同じ年に東京国際映画祭で上映され、主演の桂綸鎂(グイ・ルンメイ)、莫子儀(モー・ズーイー)と共に来日しています。
2011年に『跟著賴和去壯遊』と『尋找背海的人』2本のドキュメンタリーを撮り、2015年に久々の長編劇映画『愛琳娜』の後、再び2022年にドキュメンタリー『他們在島嶼寫作』シリーズ中の一編『他還年經』を担当しました。
今回この『キン・フー 武俠映画の王』の監督をすることになったのは、台湾の国立フィルムライブラリーである「國家電影及視聽文化中心」からの依頼でした。
実は監督にとってキン・フー監督は遠い存在で、親しみのある人物ではなかったそうですが、偉大な監督の足跡を後世に伝えるのは自分たちの世代の責任でもあると思い、引き受けたということです。
キン・フー監督の作品と生涯を描くのに、事前のリサーチが重要になりますが、3つの困難がありました。
一つは、すでに亡くなっている監督なので、彼を知る人々から話を聞かなければならなかったこと。しかも、みなさん大御所の方ばかりなので、お願いをするのもたいへんですし、お願いの仕方も気を配らなければなりません。
2つめは、作品の権利問題。映画の中で使う際の権利費用がとても高く、ドキュメンタリーの製作費ではまかなえないということ。そして権利の所有者がわからない作品もあったそうです。
3つめは、描き方。キン・フー監督を知らない今の若い人たちに、興味を持って見たいと思ってもらえるような内容にしなければならないということ。
まず、話を聞きたい大御所の方達に何度もメールでお願いしては断られ、の繰り返しで、受けてくれなかった方も多かったそうです。
皆さんがご覧になってこの人の話を聞きたかったとか、なぜこの人の証言がないのか、と思われた人たちには全てオファーしたのですが、それでも、皆さんそれぞれの理由で協力をいただけなかったということです。
今回のインタビューの中では感動したことも多かったと、監督は言っています。
サモ・ハンに最初にあった時は、監督はかなりビビっていたそうですが、キン・フー監督について語り出すと少年のようになり、本当に楽しい経験をされたのだと思った、ということです。
そして、サモ・ハンは通常こういうインタビューは受けないのだけど、キン・フー監督のことだから、自分のルールを破って取材を受けたと言われ、とても感動したそうです。
もう一人はツイ・ハーク監督。
キン・フー監督はスウォーズマン/剣士列伝(原題:笑傲江湖)』をツイ・ハークのプロデューサーで撮り始めたのですが、意見の衝突により途中降板、ツイ・ハークが後を受けて監督し完成させたということがありました。
こういう経緯のせいか、最初は断られたのですが、林靖傑監督は聞きたいのはその事ではなく、ツイ・ハーク監督がキン・フー監督からどのような影響を受けたのか、他のクリエイター達とどういう共通点があったのかということだ、と熱心に何度も伝えて受けてもらったそうです。
他の方達より短い時間しかもらえなかったけれど、ツイ・ハーク監督が純粋にキン・フー監督を尊敬する気持ちがとてもよくわかったインタビューだったと言っていました。
作品の権利問題では、キン・フー監督の作品はなんとか決着がつきましたが、彼から影響を受けた監督の作品で呉宇森(ジョン・ウー)監督の『男達の挽歌(原題:英雄本色)』やツイ・ハーク監督の『スウォーズマン/剣士列伝(原題:笑傲江湖)』、李安(アン・リー)監督の『グリーン・デスティニー(原題:臥虎蔵龍)』などが苦労したそうです。
『男達の挽歌』と『スウォーズマン』は複数の会社に権利があり、当初どこに聞いたら良いのかわからなかったり、『グリーン・デスティニー』は李安監督も力を尽くしてくれたのですが、権利期間の問題があったそうです。
また、ある作品は世界の地域によって使用制限があるなど、とても複雑だったと語っています。
3つ目の困難、今の若い人たちにどうやってこのドキュメンタリーに興味を持ってもらえるか、ということ。
キン・フー監督はレジェンドですから、これまでに色々な形で語られてきました。
没後10年、20年という節目には必ずご縁の深い方たちがキン・フー監督について語った映像や文字による記録が残されています。
そういう方達の話も当然盛り込まなければならないので、総集編のような作品にならないように、これまで語られなかった事実や取材されていない人の証言を入ることで差別化を計ったそうです。
例えば若い頃お互いが一番苦労していた時期に励まし合った台湾語ドラマの監督林福地(リン・フーディ)監督や、後編に出てくる助監督、苦しかったロス・アンゼルス時代の友人などがその具体例になります。
さて、本作ではキン・フー監督作品に多く出演した石雋(シー・チュン)が、かつてのロケ地を訪れると言う、ファンにはたまらない演出になっています。
石雋は1936年生まれ、映画の中でも語っていたように、俳優になる気は全くなく、キン・フー監督に乞われて映画に出演することになりました。そして次々と主演・助演含めてキン・フー監督作品に出演し、現在は「財團法人胡金銓導演文化藝術基金會」の事務局長として、キン・フー監督作品の保存と普及に尽力されています。
そのため国立フィルムセンター(國家電影及視聽文化中心)で資料を十数年にわたり整理していることを林靖傑監督が知り、コンタクトをとったのだそうです。
林靖傑監督は最初、みんなが知っている映画の中の竹林の中や山の中を歩く石雋と、いま台北の街から国立フィルムセンターに入っていく姿を対比させたらおもしろいと考えて、プロデューサーからオファーしてもらいました。
石雋は、キン・フー監督をきちんとフォーカスするならばという条件でインタビューを受けてくれ、その後撮影地に行く提案をして実現したそうです。
撮影地を訪れた石雋はその時83才でしたが、まるで高校生のように楽しそうに歩いている姿を見て、監督はとても心を動かされ、感動したと言っています。
監督は、何度も過去の記録映像や作品との差別化、そして過去と現在をいかに繋げるかについて心を砕いたと言っていました。
石雋が訪ねるかつての撮影地もそうですが、本作に京劇の俳優や音曲師を登場させたり、キン・フー監督のテンポの良いリズム感にあわせられるようしたいとこころがけたそうです。
キン・フー監督の素晴らしい作風と、自分なりの作風をうまくミックスして編集しようと努力したということです。
さて、冒頭で武侠映画は1920年代に中国で初めて製作され、香港や台湾など中華圏に広まったと申し上げましたが、台湾ではキン・フー監督が『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿』を撮った聯邦影業という会社がこれを機に製作を始め、石雋や徐楓(シュー・フォン)ら多くのスター俳優による数々の武侠映画や台湾語映画を作りました。
ご覧いただいたドキュメンタリーに出てきた沙榮峰(シャー・ロンフォン)というプロデューサーは、聯邦影業の経営陣のひとりです。
キン・フー監督がこの会社で『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿』と『侠女』の2本しか撮らなかったのは、撮影所作りに奔走していたからだと、『キン・フー武俠電影作法』のインタビューで語っています。
こうして大ブームになった武侠映画で、キン・フー監督から影響を受けたクリエイターの中で、李安(アン・リー)が2000年に撮った『グリーン・デスティニー(原題: 臥虎蔵龍)』は、第73回アカデミー賞で外国語映画賞など4部門を受賞しました。
ワン・ドウルーの武侠小説「臥虎蔵龍」を映画化したもので、周潤發(チョウ・ユンファ)、楊紫瓊(ミシェル・ヨー)、章子怡(チャン・ツィイー)、張震(チャン・チェン)ら豪華俳優により、神秘の名剣に魅せられた男女の死闘、復讐、そして運命の恋が展開されます。
そして、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督が初めて撮った武侠映画『黒衣の刺客(原題:刺客聶隱娘)』は、2015年の第68回カンヌ国際映画祭で、監督賞を受賞しました。
唐代の中国を舞台に数奇な運命に翻弄される女刺客を描く、最も美しく、最も静かな全く新しい感覚の武侠映画。主役は侯孝賢監督のミューズである舒淇(スー・チー)、標的となる暴君には張震(チャン・チェン)、窮地に追い込まれた女刺客を助ける日本人青年を妻夫木聡、その妻を忽那汐里が演じています。
この映画は「中影文化城」いう台湾の映画会社中影の撮影所で撮られ、当時ここで行われたクランクイン会見に取材に行ったことがあります。
これ以降、台湾では武侠映画は作られていません。
作品そのものは武侠映画ではありませんが、キン・フー監督にオマージュを捧げたと思われる蔡明亮(ツァイ・ミンリャン)監督の『楽日(原題:不散)』という映画があります。
2003年にヴェネチア国際映画祭で批評家連盟賞を受賞し、同じ年に東京国際映画祭「さらば、龍門客桟」のタイトルで上映されたように、キン・フー監督の『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿』が上映されている閉館間際の映画館を描いた作品です。ほとんどセリフのない、長回しを多用した映像詩と言っても良い映画です。
主役はお馴染みの李康生(リー・カンシェン)と陳湘琪(チェン・シャンチー)ですが、往年のスター役で石雋も出演しています。
なかなか今の台湾で作られることが難しくなった武侠映画について、林靖傑監督は「台湾の多くの監督達は武侠映画を作りたいという夢を持っている。私も含めて」と言っています。
但し、時代劇のオープンセットがある撮影所「中影文化城」は老朽化のため今は使えず、衣裳や鬘なども一から作らなくてはならないので、かなりハードルが高い、ともおっしゃっていました。
そういうこともあってか、政府もかつての名作のデジタル修復に力を入れているのでしょう。
ここからは、最新情報をお伝えします。
まず台湾で、魏徳聖(ウェイ・ダーシェン)監督の新作『BIG - 讓孩子拯救世界!』が年末に公開されることになりました。
魏監督は『台湾三部曲』という壮大な歴史映画を製作中ですが、コロナ禍の中断期間に撮ったのがこの映画です。
小児がんの子ども達を救おうという目的で作られた、ハートウォーミングな作品で、曾沛慈(ツェン・ペイズー)、鄭人碩(チェン・レンシュオ)、馬志翔(マー・ジーシアン)、范逸臣(ファン・イーチェン)、田中千絵らが出演。公式Facebookもオープンしました。
https://www.facebook.com/big816
日本では、キン・フー監督作品の紹介で何度もご紹介しているように、7月22日(土)より新宿K’s cinemaほか全国順次開催される「台湾巨匠傑作選2023」で、キン・フー監督の5作品が一挙上映されます。
劇場初公開となる『空山霊雨』『大輪廻』、そして『残酷ドラゴン 血斗竜門の宿』、『侠女』、『山中傳奇』、全てデジタル修復版です。
「台湾巨匠傑作選2023」公式サイト https://taiwan-kyosho2023.com/
今日のドキュメンタリー『キン・フー 武俠映画の王 前編』の後この5作品を見ていただくと、7月29日にここで上映する後編をより楽しんでいただけると思います。
「台湾巨匠傑作選2023」のスケジュールは、公式サイトでご確認ください。
「台湾映画上映&トーク〜台湾映画の"いま"2023」は、「台湾巨匠傑作選2023」と一緒にキン・フー祭りを盛り上げていきたいと思います。
林靖傑(リン・チンジエ)監督のムービーメッセージを含むこのアフタートーク映像を公開しました。
https://v.classtream.jp/tw-movie/#/player?akey=f3f165502aa5140602525e14e0c1209d
さて、次回は7月29日(土)、会場とオンラインでキン・フー監督のドキュメンタリー映画『キン・フー 武俠映画の王(原題:大俠胡金銓)後編』を上映します。
ご覧いただいたドキュメンタリーの中で何度も引用されているキン・フー監督のインタビュー本『キン・フー武俠電影作法』の著者である、映画評論家の宇田川幸洋さんをゲストにお迎えしてアフタートークを行う予定です。
会場とオンライン両方で実施しますので、ご都合の良い方でお申し込み下さい。
詳しくは来週台湾文化センターとアジアンパラダイスで発表しますので、チェックして下さい。
皆さまのご参加をお待ちしています。
★リンクは有り難いのですが、写真や記事の転載は固くお断りします。
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